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コブラの作者寺沢武一先生死去?デジタル漫画の先駆者だった?

コブラ』の作者寺沢武一先生が2023年9月8日に心筋梗塞のため死去されました。

『コブラ』と言えばネット上でもよく話題に上る名作の一つで、アメコミめいた作画に、主人公コブラのスマートで洒落た切り替えしに憧れた人は多いはず。

そんな寺沢武一先生が、実は波乱万丈の人生で、今のデジタル漫画の土台を築いた人だということはご存じでしょうか。

ここでは寺沢武一先生の知られざる、しかし偉大な一面をご紹介します!

目次

手塚治虫先生に認められた才能

寺沢武一先生が漫画家への道を歩み始めたきっかけは、1976年に手塚プロダクションの『ブラック・ジャック』アシスタント募集に投稿したこと。

作風が違うことを理由に一度はスタッフが落選させたものの、手塚先生ご自身が寺沢先生の作品を見て採用決定

上京し、手塚プロダクションの漫画部スタッフとして働くことになりました。

https://twitter.com/BuichiGuild

手塚先生の元で専属アシスタントをしていながら、寺沢先生だけは残業をせずに自分の創作活動のために早く帰ることを許されていたという特別待遇。

その理由を手塚先生はこう明かしています。

「彼の絵は緻密で、丹念で、しかも美しかった。ことに背景を描かせると抜群だった。」

「彼はとても才能のある子だから、一日でも早くアシスタントを卒業してデビューして欲しかった」

『コブラ』第1巻

手塚治虫先生は、嫉妬深い毒舌家としても有名です。

あまり他の作家をストレートにほめることはせず、ひねくれた皮肉の数々は語り草になっています。

そんな手塚先生が他の作家をこんなに手放しでべた褒めするなんて、特別扱いまでしていたなんて驚きました!

やはり漫画の神様の目は確かだったのでしょう。

1977年に寺沢先生は『大地よ、蒼くなれ』が第13回手塚賞佳作入選。

同年「週刊少年ジャンプ増刊号」で『コブラ』(読み切り)にてデビュー。

そのデビュー作が、作者の晩年まで続く大ヒット作になるとは、すごい話ですね。

デジタル漫画の第一人者

寺沢武一先生は、実は漫画にCGをいち早く取り入れた第一人者。

特に連載でフルCGマンガを書き上げたのは、彼が世界初だと言われています!

CGによるカラー原稿

寺沢先生が初めてCGを連載作品に取り入れたのは1985年

『週刊少年ジャンプ』で連載開始した『BLACK KNIGHT バット』という作品でした。

この頃はまだフルCGとはいきませんが、彩色にPC-9801を導入。

その後、PC-98ベースに独自構築したシステムを組み込みCGで巻頭カラーを書き上げ、CG業界にも注目されました。

世界初のフルCGマンガ!!

1992年にはコミックバーガー(スコラ/月2回刊)で『武 TAKERU』をフルCGで連載開始。

これが世界初のフルCGマンガと呼ばれる作品です!

それだけでもすごいのに、同年『マッキントッシュの電脳マンガ術』(スコラ)というCGマンガの手引き書まで刊行。

どんなものでも最初に道を切り開く人が一番大変ですが、寺沢先生は途方もない前人未踏の試行錯誤の末に手に入れた術を、すぐに惜しげもなく公開してくださったというのです。

https://twitter.com/BuichiGuild

現在CGを駆使した漫画が溢れ、プロアマ問わずネットをにぎやかしているのも、元は寺沢先生が構築してくださったテクニックの上に成り立っているという事になります。

そのおかげで漫画の多様化が進んだことを思えば、寺沢先生の功績の凄さは、もはや神がかったものと言えるでしょう。

脳腫瘍の手術、半身麻痺

才能にあふれ邁進してきた寺沢せんせいですが、1998年、病魔に襲われます。

人間ドックで発見されたそれは、悪性の脳腫瘍でした。

若い人のガンは進行が早いことで有名ですが、寺沢先生もご多分に漏れず、わずか5年の間に3回にわたる手術

その後遺症で左半身麻痺となり、要介護4と判定されました。

2003年12月、ご自身のブログで病気について公表。

 発見されてすぐ緊急手術を行いました。
大手術、放射線、抗がん剤治療で体力はなくなり、頭髪も右半分がすべて抜け落ちてしまいました。
一度目は難を逃れたものの、三年後に再発、二度目の手術で左半身にマヒが現れ、現在も杖をつき、左足をひきずって歩いている状態です。
左手は握力が極端に弱くなり、原稿を押さえるのも大変です。コンピュータのキーボードも左手は使えません。
右手にも若干震えが出て、残念ながら絵を描くことにも支障がでました。

https://www.buichi.com/profile/bt_mes_01.html

要介護4は、食事、排せつ、入浴等日常生活のほとんどを昼夜問わず常時介護してもらう必要のあるほど重い状態です。

座った姿勢の維持すらままならない状態で、普通なら漫画を描くなんてもってのほか!

ご本人も周りの人も、生きるだけで精いっぱいなはずなのです。

しかしそれでも、寺沢先生は書き続けました。しっかり治療し、リハビリをし、漫画界に舞い戻ったのです。

そして、68歳で永眠されるまで漫画に尽力し続けたのでした。

複数回のアニメ化、ゲーム化

https://twitter.com/BuichiGuild

寺沢先生のコブラの人気は言わずもがなですが、実はアニメ化以上にゲームも多数発売されています。

なにせ独自システムを構築してCGを取り入れるほどの方ですから、ゲーム化には特に意欲的で、ご自分で監修されるばかりか脚本・監督までこなすほどの熱の入れようでした。

そのどれもが常に時代を先取りした内容で、まさに天才。舌を巻いてしまいました。

アニメ化

コブラのアニメというと、1982年代の『スペースコブラ』が一番有名ですが、2008年以降もOVAやテレビアニメ化されています。

放映年月日タイトル
1982年7月3日SPACE ADVENTURE コブラ(映画)
1982年10月7日-1983年5月19日スペースコブラ(テレビアニメ)
2008年8月29-2009年2月27日COBRA THE ANIMATION ザ・サイコガン(OVA 全4巻)
2009年4月24日-6月26日COBRA THE ANIMATION タイム・ドライブ(OVA 全2巻)
2010年1月2日-3月27日COBRA THE ANIMATION(テレビアニメ)

ゲーム化

こんなにゲーム化していたのか!と驚くほどの作品群。

特に『コブラ 黒竜王の伝説』『コブラII 伝説の男』は『コマンド選択式アドベンチャーゲーム』と冠して発売。

今でいうノベルゲームの元祖とも言える内容で、その後追随する作品群によって『デジタルコミック』という一大ジャンルを築きました。

発売年タイトルハードブランド
1982年スペースコブラ ザ・サイコガンLCDゲームポピー
1982年スペースコブラ プロフェッショナルLCDゲームポピー
1987年CobraAmstrad CPCLoriciels
1987年Cobra ⅡAtari STLoriciels
1989年コブラ 黒竜王の伝説PCエンジン CD-ROM2ハドソン
1991年コブラⅡ 伝説の男PCエンジン CD-ROM2ハドソン
1996年コブラ・ザ・シューティングプレイステーションタカラ
1998年コブラ ザ・サイコガンプレイステーションソニー・コンピュータエンタテインメント
1999年コブラ ギャラクシーナイツプレイステーションソニー・コンピュータエンタテインメント
2001年魂打~タイピング・ザ・サイコガンWin & MacハイブリッドSSIトリスター 開発:スティング
2005年コブラ・ザ・アーケードアーケードゲームナムコ
2006年ジャンプアルティメットスターズニンテンドーDS任天堂
2012年 COBRA the DUEL
―コブラー
Mobageダーツライブゲームズ

まとめ

常に時代の先を見据え、あまりにも他分野に影響を与えてきた寺沢武一先生。

彼がいなければ、今の豊かな漫画文化、ゲーム文化、CG文化はあり得なかったのかもしれません。

心からのご冥福をお祈りいたします。

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