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映画大好きポンポさんはつまらない?爆死で賛否分かれる理由とは

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劇場版『映画大好きポンポさん』pixivの同名漫画が原作で、

「マンガ大賞2018」で10位、「このマンガがすごい! 2018 オトコ編」で17位を受賞し注目を集め、映画化されました。

ネット上のレビューを見ると、どのサイトでも星の数が多く、全体的な評価が高いように見えますが、

その反面、「つまらない」「駄作」と強い口調で批判する声も少なからず見られます。

劇場版「映画大好きポンポさん」はつまらないのでしょうか、面白いのでしょうか。

賛否分かれる理由や、どんな人に刺さるのかを追求してみます!

目次

ポンポさんは爆死!?興行収入は?

劇場版『映画大好きポンポさん』は、公開から3日間で動員1万7049人、興収2706万6400円だったため、ネット上で「爆死」と騒がれました。

しかし、その時に比較されているのが『名探偵コナン』や『シン・エヴァンゲリオン』等、出せばほぼすべての劇場がこぞって上映する興行収入殿堂入りの作品ばかり。

片や『映画大好きポンポさん』は、原作が賞を取ってはいるものの出自が出版社ではなくpixivで、名が知られていないと言っても過言ではない作品です。

上映館も当初全国でわずか56館だけでした。

それが一月弱で上映館が80館にも及び、興行収入も最終的に1.7億円と大健闘!

ほぼ無名のアニメ映画がここまで伸びるのは、むしろ評価が高かったからと判断してもいいのではないでしょうか。

「映画大好きポンポさん」の反対意見

劇場版『映画大好きポンポさん』は刺さらない人にはむしろ不快になってしまうらしく、彼らの感想は「つまらない」「退屈」「オリジナルで映画作れない監督の自己満足」等と大変辛辣な言葉が多いです。

その内容を紐解き、そこまで言わせてしまう理由を考えてみましょう。

キャラクターの配置やストーリーに目新しいものがない

ポンポさんのキャラクターは、とても分かりやすいものです。

  • 世界的に有名な天才を祖父に持ち、その能力を受け継いだ天才的な孫(極論カリスマ)。
  • 一つの才能しかなく、大抜擢される陰キャ新人監督。
  • 経験も能力も低いが、光るものを持つ新人女優。
  • 女に目がないが右に出る者のいない、意外と話の分かる大御所俳優。
  • 与えられたことなんでもこなす、お色気ベテラン女優。
  • 上下の差がなく風通しの良い、一つの目標に向け一致団結した暖かい職場。

うん! どっかで見た設定ばかりですねっ!

どっかで見た舞台設定どっかで見たキャラクターたちが、映画の大黒柱である監督とヒロインにド新人を起用し、何の軋轢もなく作品を作り上げていき、そのド新人たちが称賛されゆくゴールに向かっていくわけです。

あらすじだけ見たら、確かに使い古されすぎていて面白味がわからないんですよね…

劇中劇を重ねるため、わざと?

物語の本筋は、新人女優ナタリーのために当て書きした脚本『MEISTER』を新人監督ジーンに作らせる成長物語です。

この劇中劇『MEISTER』の脚本事態が、ジーンにこう言わしめています。

枯れた芸術家が自然や若者と触れ合って心を癒す………

物語としては定番で新味は無い………けど

登場人物の魅力に引き込まれる!

映画大好きポンポさん Chapter.4 Masterpiece https://comic.pixiv.net/viewer/stories/28205

映画化にあたって、この「映画大好きポンポさん」という作品や登場キャラクターが劇中劇『MEISTER』に重ね合わせられていることがかなり強調されています。

『映画大好きポンポさん』という本作事態が『MEISTER』のように「物語としては定番で新味はないけど、登場人物の魅力に引き込まれる」となるよう、あえて退屈なほど定番な舞台・キャラクター設定とストーリー展開にしているのではないかと考えられます。

ナタリー役の演技が棒読み?

https://pompo-the-cinephile.com/

演技経験がないものの光るものがあり、ポンポさんに当て書き(その役者のためだけに脚本を書かせること)をさせ、大御所俳優とのダブル主人公をこなす新人女優ナタリー。

そのナタリー役を演じる声優が棒読みだ、という指摘もよく見かけます。

これは主観も多く含み断定はできませんが、確かに少しこもった声質で、抑揚が少なく聞こえます

ポンポさんがリアクション激しくテンポの良いアニメキャラらしいアニメキャラだから、なおさら際立ってしまいますね。

オリジナル要素が蛇足

映画化するにあたって、大きく二つのオリジナル要素が追加されました。

アラン

https://pompo-the-cinephile.com/

一つはアラン

ジーンの元クラスメイトで、現在は銀行マンをしています。

学生時代はいわゆるスクールカーストの上位に位置し、なんでもそつなくこなしてきましたが、就職後は逆に足を引っ張るお荷物となってしまい、退職する気でいました。

それが、退職届を出す直前にジーンの映画への融資が切られかけていることを知り、融資を続けてもらえるよう奮闘します。

エリート街道を脱落しかけた人間の再生劇を繰り広げるわけですが、コンプライアンスに引っかかるとんでもな戦術を使ったこともあり「下手な半沢直樹」「リアリティが無い」等の批評が寄せられています。

追加撮影

もう一つが、クランクアップ後の追加撮影

映画は撮影をすべて終わらせた後、編集してスポンサーに上映、それが通ってようやく世にでるわけです。

しかしジーンは期日までに編集を終わらせられず、それどころか追加撮影を行う、そのためスポンサーに待ってもらうことを願い出ます。

https://pompo-the-cinephile.com/

これ自体がとんでもなく身勝手であり、一度解散したキャストスタッフだけでなくそのシーンのための新たな配役も選んで、もちろんそこからさらに編集作業が増えるわけです。

ジーンは倒れますが、病院を抜け出し編集作業に没頭し、なんとか仕上げます。

しかし、現代は製作の裏側をドキュメンタリーや書籍などである程度知っている人も多くいる時代。

新人監督がこんな無茶を押し通せるのはリアリティが無い

入院を振り切ってまで仕事しないでほしい。それで実際に亡くなるクリエイターがいる

ここまでして追加したシーンに魅力を感じない

などの不満も上がっています。

極論が陰キャ寄り、ご都合主義のハッピーエンド

ポンポさんを中心に数々の印象的なセリフがあります。

その中でも、この作品の象徴でもありキャッチコピーとして使われたこの言葉はダントツでしょう。

「幸福は創造の敵」

なぜ自分をアシスタントに選んだのかと問うジーンにポンポさんがその理由を応えるシーンで出てくる言葉です。

https://pompo-the-cinephile.com/

これだけでは意味が分からない人もいるでしょうから、このくだりを原作から引用します。

だけど満たされた人間っていうのは満たされているが故にモノの考え方が浅くなるの

だって深く考えなくても今幸せだから

幸福は創造の敵

彼らにクリエイターとしての資質無し

(中略)

現実から逃げた人間は自分の中に自分だけの世界を作る

まさに創造的精神活動!

心の中にとどめく

社会と切り離された精神世界の広さと深さこそが

その人のクリエイターとしての潜在能力の大きさだと

私は確信しているの

『映画大好きポンポさん』 Chapter.3 Auditioning

幸せに生きてきた人の創作活動全否定ともとられる極論。

下手すると人の幸せ事態の否定や、クリエイターは不幸であれという呪いじみた思想を生みかねない尖った理論です。

しかしこの作品を見れば、この作品は徹頭徹尾この極論をベースに映画製作を描いた作品であることが、否が応でもわかります。

これに「陰キャが自分を肯定するための暴論」「こんなこと言っておいて、最後がニャカデミー賞総なめというご都合主義ハッピーエンドなのが気持ち悪い」などの反発が多くみられます。

「映画大好きポンポさん」の賛成意見

合わない人にはとことん合わないポンポさん。

しかし、何故か刺さる人は心をとらえられ、何度もリピートする人も少なくありません。

映像表現が巧み

まず目を見張るのは、映画ならではの映像表現の巧みさでしょう。

各所で挙げられているのは、明るいネオンカラーをちりばめられた主線

絵的にとてもきれいで、印象的で、思わず目を引きます。

単純に迫力があるとか絵になるとかだけではありません。

なにせ90分と映画にしては短い上映時間のため、話がサクサク進み、場面転換が多い。

「場面転換が多い」と観客の集中力をその都度断ってしまうため、演劇や映像作品ではデメリットとされ、極力避けるのが定石。

しかしその場面転換を、車のワイパーになぞらえたり、ドアの開閉に経過時間を表記することで一瞬で状況説明させたりと、観客を飽きさせず、目を引くデザインで、スマートに表現されているのです。

特に話の肝が編集作業なので、とかく絵面が地味になりがちなのですが(原作は現実に忠実に地味でした)、それをジーンの心象風景に置き換え、大きな剣を振りかざして次々フィルムを切り貼りしていくダイナミックな場面として表現。

これは賛否分かれます。

あまりにも現実離れしていて派手すぎて「ダサい」「恥ずかしい」と感じる人も。

しかし、編集作業が好きな人の中には共感する人も多いはず。

無我夢中で没頭している心象を映像表現すると、本人にとってはこれくらいダイナミックな世界に見えてしまったりするのです。

編集作業とは、こんなに大胆で、こんなに色とりどりで、寝食忘れて酔いしれてしまうほど魅惑的なのだ(少なくともジーンにとっては)と表現したかったのでしょう。

ただなかの本人が現実を忘れて陶酔しているのですから、傍から見たら「ダサい」「恥ずかしい」と思わせるくらいがむしろ現実的なのです。

オリジナル要素で物語に厚み

反対意見で不評な理由の一つとして挙げたオリジナル要素ですが、むしろそこがよかったという声も多くあります。

わたしもおおむね肯定派です。

映画を見た後で原作漫画を読み、「原作の方がよかった」という意見もわかるのですが、この原作をそのまま映画にしたら厚みが足りないな、と強く感じました。

映画はやはり、かなり多くの人材とお金を必要とするものなので、それだけ多くの人に見てもらい、多くの人の心を動かせる厚みが必要です。

原作はポンポさんの持論とジーン君の監督業編集作業にひたすら誠実で、そのまま映画にしてしまえば、そこにハマり切れない人たちを置いてけぼりにし、物足りない映画となってしまっていたでしょう。

映画を見に来る観客は、創作したことのない人の方が多いはず。

その中でも「不幸であったが故に創作の世界に追い詰められた」ほどの人なんて、どれだけいることか。

共感を得るにはあまりにもニッチ過ぎる作品です。

しかし、ここにアランが登場することで、作品の世界が一気に広がりました。

学生時代はうまくやれていたのに、就職したとたん何もかもうまくやれなくなった元陽キャ。

正直、どこにでもいる人選です。それ故に共感を得られやすい。

創作事態に携わることはしないが、仕事の関係や昔の付き合いで、ネット上で、創作する人と出会ったことのある人は比較的多いでしょう。

そんな立場の人も、誰かの創作に力を与えることができる。応援することができる。

実際、特に映画を作るには、製作スタッフだけでは成り立ちません。

多くのスポンサーや書類上の取引等を含めれば、あらゆる立場の膨大な人たちがいるおかげで、ようやく一つの映画を作ることができるのです。

映画のようにきらびやかではなくても、ただの日々の業務の一環であっても、誰かの仕事が、支えが、どこかの作品の礎となっている。

それを表現したかったのでしょう。

これはオリジナル要素でスタッフ同士の交流をより丁寧に描いた面にも見ることができます。

ジーンの思いついた雨の中の撮影。映画ではそれに俳優もスタッフも次々と「もっとこうしたら面白い」とアイディアを出し合い、ついには新人俳優ナタリーまで意見を飛ばします。

そうして撮られたシーンは、最終的にダルベールとリリーの泥仕合に発展し、泥に足を取られた二人は並んで転がり、偶然にも雨が上がって虹までかかる。

あまりにも青臭く「恥ずかしい」という意見も散見されるのですが、これはむしろ新人俳優のナタリーにベテランのスタッフやマーティンまでもが引っ張られたが故の青臭さではないでしょうか。

アランのプレゼンはコンプライアンスに引っかかるとんでも手段ではありましたが、ポンポさんの求める作品を支えるには常識的な手法は似あわない

これは映画なのですから、エンターテイメントとして映える物語にしたかったのだろうと思います。

追加撮影も、これがなければ恐らく劇中劇『MEISTER』はポンポさんの脚本や手腕がすごいのをジーンが上手にまとめたように映り、ジーンの作品として表現し切れなかったのだろうと感じられます。

追加撮影というものがどれだけ傲慢で信頼を失うものなのか、もポンポさんは忠告し、実際にスポンサーが離れて厳しくたたかれる様も描かれています。

しかし、それを乗り越えてでも描かなければいけなかった、天才音楽家ダルベールと別れた妻との会話。

妻からの決別の言葉は、実はそれだけではない意味を含むものだった———

短いシーンではあるものの、このシーンを追加することで作品の持つ彩がより深まったことがわかる良い追加撮影だったと思います。

https://pompo-the-cinephile.com/

それに、追加撮影で採用されなければ、その前後のナタリーやポンポさんとのシーンがなければ、ミスティアはただ「ナタリーを育てたベテランなだけの女優」というだけで終わってしまったことでしょう。

ミスティアのベテランたる所以も垣間見ることができ、この作品自体の過不足をまとめたオリジナル要素だったと思います。

『創作しかない』者にしか描けない世界

この作品はやはり、現実世界に居場所がなく「創作しかない」と追い詰められた者にしか描けない世界を垣間見せることが本筋です。

「創作しかない」と言いながら、映画製作は現実世界で多くの人たちを動かさなければ成り立ちません。

創作しかなくなったが故に、創作するために現実の人たちと折り合いをつけあい、目的を同じくするが故に良い協力関係を築き、良い協力関係を築けたからこその傑作の誕生を描く。

新味は無いけれど、それはつまりどの時代でも求められる普遍的なテーマなのです。

https://moviewalker.jp/special/pompo/

それを、「音楽しかしてこなかったがため孤立し、音楽からも見放された音楽家が、自然や若者と触れ合って再び音楽の世界に舞い戻る」という、これまた普遍的な劇中劇と重ねて描かれる。

劇中劇『MEISTER』とジーンたちとの重ね方が絶妙で、表現方法も絵面も独自性があり、魅せられる作品でした。

その証拠に、この映画が刺さった創作者表現者たちは、

物書きは何かを描きたくなり、

歌うたいは歌を歌いたくなり、

演技者は演技をしたくなり、

「自分も、やらなくては!」と気持ちが沸き立ったことでしょう。

ナタリー役の棒読みも演技?

反対意見に「ナタリー役が棒読み」という指摘がありましたが、わたしはこの棒読み自体が演技ではないかと感じました。

普段のナタリーは確かに、「棒読み」と言われても仕方がないくらい抑揚が少なく、声もこもっています

https://moviewalker.jp/special/pompo/

しかし、いざ撮影が始まると、演技中の彼女は急に声が通りリリーらしく爽やかにふるまっているのです。

リリーの演技シーンが短く少ないため気づかれにくいのかもしれませんが、これは演技ができないのではなく「演技ができない演技」をしていたのではないでしょうか。

なにせナタリーは、女優を目指してはいるものの演技経験はゼロ

田舎から出てきてバイトとオーディションで忙殺され、訓練もロクに受けていない、本当のド素人として登場しました。

ミスティアと共に演技指導を受けるようになっても、最初はダメ出しばかり。

そんな子が普段からまともな発声で抑揚のついたしゃべり方、できていない方が自然なのです。

まとめ

https://moviewalker.jp/special/pompo/

反対意見も多く、その指摘も大いに一理がある『映画大好きポンポさん』。

しかし、一部の刺さる人たちには、かけがえのないものを与えてくれる力のある作品です。

特にクリエイターなら見ておきたいおすすめ作品だと思いました。

あまり知名度はないですが、視聴した人はかなり評価が高く付ける人が多くて、隠れた名作の一つです。

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